地域活性化と芯のある交流に惹かれ、若者たちが今、倉敷の「有鄰庵」に集まる
最近では暮らしの豊かさが取り上げられることも多くなったせいか、地方移住についてもチラホラと耳にするようになりました。ネットの普及や交通網の発展で、場所にとらわれずタイムリーに誰とでも繋がれることもあり、働き方の根本が徐々に変わってきているように感じます。そういうことも追い風に、倉敷にもジワジワと日本や世界からアーティストや若者たちが引き寄せられています。そんな倉敷でも最も異彩を放つ溜まり場がここ「有鄰庵」です。
少し「有鄰庵」について整理させてもらいます。
10年以上も前から街づくりに関わってきた中村功芳さんのもとに、日本中から夢を持つ若者たちが集まり、倉敷を世界に発信するため、「倉敷ゲストハウス有鄰庵」「古民家カフェ」「シェアハウス」を運営されています。そのほかにも、無人島の図書館・学校・様々な地域を生かした活動を企画され、どれも日本世界中から注目を集めています。特に、「倉敷ゲストハウス有鄰庵」「古民家カフェ」に関しては、国指定の美観地区内にある築100年以上の町屋を預かり運営し、年間40,000人が訪れる倉敷の情報発信の拠点ともなっています。今回は、これらすべての総称として「有鄰庵」と呼ばせて頂きます。
有鄰庵を知れば、倉敷を知ることができる。今回はそんな有鄰庵の運営する2件のシェアハウスを紹介するためにも、ゲストハウスや倉敷にも触れながらご紹介します。ぜひ倉敷生活のイメージを膨らませてみて下さい。
先人達が残してくれたように後世へ残し、地域の魅力を世界へ発信する有鄰庵
幸いにも、有鄰庵代表の中村功芳さんともお会いすることができ、お話を聞かせていただく時間がありました。
「自分たちの町は自分たちで作ればいい」
代表の中村功芳氏に頂いた力強い言葉。なかない言えないし、実行することがどれだけ難しいのか誰でも容易に想像できるはずです。ましてやそれを成功し、今の倉敷の顔にもなっていると考えるとなんとも頼もしい限りです。
「先輩たちがいたから、街づくりをやってこれた、自分も真似して後世へ繋げていく」
多大な貢献を果たした大原家や、多くの協力者達への敬意と尊敬を感じれたことはもちろんに、 後世を担う若者達を信頼し、挑戦できる場所を一緒の目線で作り上げている中村さんの懐の大きさを見て取ることもできました。
実際に「有鄰庵」では、有鄰庵に携わるスタッフたちの能力を最大限に生かせる環境作りに努めたからこそ、 今日のような日本でもトップの稼働率を誇るゲストハウスへと成長したのだそうです。 ここで働くスタッフさん達の笑顔から家族に似た絆を感じることができました。そして最後に一言。
「倉敷にお家ができたと思って、いつでもまた戻ってきてね〜」
こんな言葉をかけてもらえるとさすがにこちらも素直に笑顔になりますね。みなさんとぜひ一緒に笑顔になるためにぜひ有鄰庵に訪れて欲しいです。有鄰庵の名物の「黄ニラ正油のたまごかけごはん」と「しあわせプリン」もぜひご賞味あれ。
脈々と受け継がれてきた歴史と、これからの地域の在り方を示す町、倉敷
倉敷と聞くと古い町並みが残った場所というようなイメージをする方が多いと思いますが、なぜそもそもこんなに保存されているのか。
江戸幕府の天領とされた際に倉敷代官所がこの地区に設けられ、備中国の物資が集まることで発展した歴史を持っています。物資が集まれば富も集まり、当時の裕福さを象徴するかのように強固で頑丈な建物が多く造られました。そして、このの地区に住む方たちは、古い町並みを大事にし残そうとしてきたことにも起因しているそうです。
戦後すぐにも、条例や重要伝統的建造物群保存地区とされて、今でも情緒ある世界観がそのまま残ることとなりました。
私自身はじめて訪れたのですが、本当にタイムスリップしたかのように思うぐらいの想像を遥かに超えたスケールを有した綺麗で趣のある町並みに不思議と居心地の良さを憶えました。
倉敷とはズバリ、「西洋を理解し、東洋を理解してもらう装置」である
なぜアーティストが集まるのか?そしてなぜ若者たちが魅了されるのか?それを紐解く鍵が「大原美術館」にある気がします。
ちなみにここ大原美術館は、最近では、佳子様の初めての地方ご公務としても選ばれたほど由緒ある場所でもあるのです。
そんな大原美術館は1930年に西洋近代美術を展示した日本初の私立美術館になります。倉敷を基盤に幅広く活躍した大原孫三郎によって開設され、この時代にしては珍しい国立ではない美術館です。
大原氏は画家児島虎次郎を三度にわたる渡欧を支援し、当時さほど有名ではなかった画家たちの作品やエル・グレコ、ゴーギャン、モネ、マティスなどのヨーロッパの美術作品を丁寧に選び、倉敷に持ち帰って来たものが大原美術館に収納されています。間接的ではありますが、大原美術館がパトロンとして西洋美術の発展にも少なからず影響を与えてたいたのかもしれません。
西洋美術を通し西洋を分かち、東洋を認識するためにも古い町並みを残す、という斬新かつ大胆な融合策を投じた大原孫三郎氏の偉業は今の我々にとっても、これからの使命に通じるものがあるような気がします。
現在でも大原美術館に作品が飾られることは画家にとっては大変な名誉なことで一つの登竜門的な場所になっています。だからこそ、倉敷には新進気鋭の多くの若者達が魅了されて集まってくる一つの要因となっています。
文化度の高い生活と時間のなかで、お互いに高め合い、賞賛できることを共有できるる場所になって欲しいことを願い作られたシェアハウス。倉敷の先人達の精神、町並みに感じられる文化や、宝物を生活の中に取り入れ、夢に向かう人たちが集まり、美観地区すぐ近くでの共同生活になります。
たまたま訪れた倉敷での有鄰庵との出会い。
振り返って思うことは、「有鄰庵に訪れて良かった」と。
単純な感想かもしれないけれど、素直にそう思える空間と時間が創りだされていました。
地域を知ってもらう交流の場であるゲストハウス。
倉敷でアートや夢を追いかける人たちを支えるシェアハウス。
さらに倉敷を食でも楽しませてくれるカフェ。
有鄰庵の革新的な街興しへの姿勢はどれも、「交流」というスパイスで、倉敷だからできる地域の魅力の伝え方を、独自に織りなしています。そして、その交流が「倉敷に暮らす人」と「倉敷に訪れる人」を接着剤のように繋げ、交流がまた交流を生み、次から次へと大きな輪となり、有鄰庵コミュニティが形成されているのだと感じました。
地域が持つ温かさと伝統ある強さに触れてみたい方は、倉敷に行かれた際は一度有鄰庵さんへ訪れてみてはいかがでしょうか。
/Author: タカハシ